こんにちは、ねおゆに666(@rb666dett)です。
ねおゆに666の自己紹介を兼ねて、『GT-Rとぼく』を書きました。
後悔!R33との別れ
2016年9月、R33スカイラインと別れた。
理由は、維持費がかなり苦しくなっていた。
また、車高を落としていたため、どこへ行くにも段差などを気遣う必要があった。
そのため、乗っていて気疲れすることも増えてきた。
別れてからの悪夢
R33と別れてから、徐々にストレスがたまるようになる。
そして、2017年2月、溜まりに溜まったストレスにより、うつ病になる。
今思うと、R33を乗ることで、ストレスが発散できていたんだと思う。
2年後、GT-Rとよりを戻す
R33と別れたあの日からちょうど2年後。
2018年9月、GT-Rとよりを戻す。
おかげで、体調もかなり良くなってきた。
やっぱり僕の人生には、GT-Rなしではダメなんだ。
序章
別れと出会いを繰り返してきたGT-Rと僕。
これまでどのように歩んできたのか、書いてみます。
さいごまでお付き合いいただけるとうれしいです。
誕生
僕は1982年山口県に生まれた。
僕は速いクルマ、かっこいいクルマが好きだ。
大好きなクルマは、GT-R。
僕のGT-R好きは父親譲り。
父親の時代は、ケンメリ、ハコスカの絶頂期だったそうです。
速いクルマとの初めての出会い
僕が最初に速いクルマと出会ったのは、3歳くらい。
山口県にあった美祢サーキット。
サーキットをバックに、父親に抱っこされて映っている姿がある。
父親の話では、何度か美祢サーキットに足を運んでいたみたい。
乗り物が大好き
夜、寝ない僕を連れて、父親はよく仕事が終わった後、家族でドライブに行っていた。
僕はクルマに乗ると寝てしまう。
何歳くらいだったか覚えていないが、なんとなくその時の記憶がある。
今思うと、仕事が終わってからのドライブはとても大変だと思う。
僕も社会人となり、父親となって、自分の父親の大変さが身にしみてわかる。
そして、時は過ぎ。。。
高校時代、グランツーリスモにはまりクルマ熱が開花
グランツーリスモというゲームソフトが発売し、一気にクルマへの熱が上がる。
実は、これには裏話があります。
グランツーリスモは、僕が本当は欲しいソフトではありませんでした。
父親が間違えて、グランツーリスモを買ってきてしまったのです。
今思うと、この間違えがなければ、
クルマ好きになることもGT-Rに乗ることもなかったのかもしれません。
最初は、スカイラインGT-Rではなく、スープラが好きだった。
ゲームにのめりこんでいくと段々、R33スカイラインGT-Rが好きになっていた。
大学時代、初めて美祢サーキットにSuperGTを観戦に行く
物覚えがついたあとのレース初観戦。
すごい音にびっくりしたのを覚えている。
しかし、印象に残っているのは、NSX。
他の車両よりも高音だったのを覚えている。
社会人になり、R33スカイラインGT-Rを購入
人生で初めて買ったクルマは、R33スカイラインGT-R。
実は、シビックのEK9と迷いました。
先輩が「一番好きなクルマに乗るのが一番だ」という一言で購入を決めました。
ちなみに、その先輩はR34スカイラインGT-Rに乗っていました。
まだ若かったため、ローンと保険で5万以上払っていたっけな。
でもとても楽しいクルマでした。
R33のある生活
普段使いの車だったので、いろんなところに出かけたなぁ~。
買ってすぐのころ、当時の彼女とドライブをし、住宅街に迷い込んだ。
そしたら、バックしてリアを擦った。
かなりへこんだ。
修理費は7万だったな。
今でも忘れない。
R33に乗っていて一番楽しかったのが、実家への帰省。
栃木から山口の実家まで何度か運転して帰った。
片道1100キロと長距離だが、とても楽しいドライブだった。
高速道路のPAに停まっては、ボンネット開けてエンジンの音をチェックしたり、
タイヤを触ってチェックしていたりした。
かなり神経質になっていた。
そんな柔なクルマじゃないのに。w
また、高速道路のPAを出るとき、アクセルをいつもより多めに踏む、
そのときの加速がたまらなく好きだった。
そして、別れが近くなった頃、小さかった息子を乗せて走り、
満足そうにしている息子の顔がすごくうれしかった。
父として誇らしかった。
これ以降の話は冒頭で話した内容です。
今後の夢
これからはGT-Rを大切に乗り続け、息子にバトンタッチしたい。
もう二度と手放しはしません!
さいごまでお付き合いいただきありがとうございました。
今後、よろしくおねがいします。